Satoko と Svenは1975年に出会いました。音楽が二人の共通の楽しみということから、やがてスウェーデンの音楽をいろいろな形で少しずつ世界に紹介するようになりました。最初の活動は「Pijpa, Qwädha, Dansa (PQD = 笛吹き、歌って踊ろうよ)」という2週間の夏の講習会でした。これは1978年から11年間毎年続けました。みんなに喜ばれて始まったこのコースから刺激を受けて、最初の年にサトコのMusica Rediviva も産声を上げることになりました。

Satoko och Sven Berger

Satoko Berger はMusica Rediviva 社を1978年に創立しました。始めは古楽演奏者に古楽器や楽譜を提供することを目的とした会社でした。サトコ自身がルネサンス・ダンスを踊っていたことから、夏季講習会などを通して音楽家や舞踏家と交流するうちにいろいろと考えることがありました。古楽の舞踏家が一年を通して使えるような音楽源を録音したいとの思うようになり、1989年にムジカ・レディヴィーヴァをCD/LP製作会社に変革します。最初に作られたCDはそういうわけでルネサンス・ダンス教則本の音楽を入れたアルボー先生のダンス教室 I & II (Monsieur Arbeau’s School of Dancing Vol. I & II) です。

CD製作は、当時既に大きかった彼女のコンタクト網を広げることになります。音楽家、歴史や楽器専門家の方々の支えにより、アーティスト、合奏団、交響楽団、学会などの境界を越えた協力関係を築き上げていったのです。それによりスウェーデンのアーティストたちが日本でコンサートや講習を行い、また日本の音楽家や学生達が来瑞してコンサートを行ったり授業を受けたりする手助けができるようになりました。

Sven Berger (現在イェーテボリの音大を定年退職)は1960年代に既に古楽のパイオニアとされていました。ヨクラトーレス・ウプサリエンセス (Joclatores Upsalienses) やコンヴィヴィウム・ムジクス・ゴーテンブルゲンセ (Convivium Musicus Gothenburgense) などのアンサンブルとのコンサートや録音によってもその名を知られています。音楽ジャンル、楽譜や楽器に対する抜群の知識の恩恵を蒙ったのはは学生達ばかりではありません。彼はまた非常に異なった編成のアンサンブルのために編曲をし、古楽器から現代楽器に至る多くの管楽器を演奏することが出来ます(例えばツィンク、サーペント、シャルマイ、ポンマー、ドゥルツィアン、クルムホルン、笛各種、ファゴットなど、加えて民族楽器では白樺のトランペット、角笛各種、ダーラナ地方のバッグパイプなど)。また、スウェーデン最大の音楽辞典「ソールマン音楽辞典」や国家的企画で編集された「スウェーデン百科事典」でも執筆者として重要な役割を果たしています。